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2016.6.4~6.19

Hideki TARUI

FREEZE!

2016年6月4日より、CRISPY EGG Gallery樽井英樹『FREEZE!』展を開催する運びとなりました。

 

樽井英樹(http://hidekitarui.strikingly.com/)は1988年生まれ。多摩美術大学在学中から多くの作品の発表をし、現在も活動的に発表をしている若手作家です。

 

樽井英樹の作品へのアプローチは一言で言えば「即興的ダンスの痕跡」です。

 

先行するイメージを追いかけるのではなく、直前の動作の痕跡を媒体に、次の動作を展開させていく、フィジカルな動きの流れに逆らわないようにして絵を描いていきます。

 

しかし、この一見するとAction painting的とも思えるこの手法。

樽井英樹の手を通すと、抽象表現主義に欠かせない「巨大さ」や「内発性」といったものがすっぽり抜け落ち、廃材利用やキャンバスの引っかき傷を繰り返し多用することで、「巨大さ」ではなく「大量」、「内発性」ではなく「渇き、不満足」という、まるでゾンビのような作品へと変質してしまうのです。

 

そこには「アヴァンギャルド」と呼ぶべき偉大さはなく、ようやく見つけた腐肉にむさぼりつくような、ゾンビ的フィジカルの表出があるだけなのです。

樽井の描く作品を前にすると、私たちは夢と希望に彩られた未来を描くことができず、飢えと渇きをなんとかして満たすだけ未来しか見出せなくなっているのかもしれない、と思わざるを得ません。

 

今の時代を表すような樽井英樹『FREEZE!』展。是非ともご高覧下さいますようお願い申しあげます。

 

平成28年5月

石井弘和

HIDEKI TARUI

樽井 英樹

Statement

ふさがらない傷口がうずく皮膚と骨折した骨のような画布と木枠が、壁面に貼り付けにされた絵画は、鑑賞者の存在する空間に反射することなく、むしろその空間に転がり落ちてきます。窓や水面や影でなくなった絵画は、自らの中に空間を希求するのです。

 

樽井英樹

Questionnaire

(1)樽井さんは様々なテキストにおいて、「現在的な絵画」について繰り返し語っておられます。樽井さんの作品の主たるテーマである「現在的な絵画」とはいったいどういったものなのでしょうか?

私の描画方法に関係しています。それは描きながら思いつくがまま描くというもので、計画性がありません。何かを思いついた瞬間というのは、その理由を自覚できていないはずです。計画的に思いつくということはできず、理由は後から考えるもの。つまり思いついた瞬間はあらゆる解釈から解放されているときです。

 

また絵画という作品形態は、完成等の判断によって描画が止まった作品も、加筆によって新たな制作過程に入っていくことができます。誰が描いた作品であっても、その後(作者以外の人によってであっても)手を加えられることによって、再び現在に呼び戻されます。その時その作品になされていた理解はリセットされます。

 

「現在的な絵画」とは未体験でもなければ、解決済みでもない、解釈の空白地帯のような現在にある絵画です。

 

 

 

 

(2)筆致が繰り返し走るように画面を覆い尽くす作品は、難波田龍起的アンフォルメル絵画を想起させます。

加えて、作品イメージに「筆触の偶然性」を含ませる手法は、ドロッピング的であるとも言えます。

この生命力や内発性を絵画へと変換させるアンフォルメル的抽象と樽井さんの絵画の共通点もしくは異なる点はどういったものでしょうか?

 

 

画家のフランシス・ベーコンが自作について「偶然のバイタリティを生かしながら連続性を保とうとしている」と語っていますが、偶然生じたものに気づいたり、それを選んだり、発展させたりということはご指摘のような抽象絵画も私の作品も、その他偶然を利用する作品(ベーコンのような具象画も)には共通しています。異なるとすれば、私の場合は画面の中の空間が、伝統的な透視図法、手前から奥の空間を描くことによって構築されていることです。その部分は生命力や内発性といったものから「醒めた部分」といえるのではないでしょうか。

 

 

 

(3)近作になるにつれ、タイトルが小説の小見出しのように変化していきます。

物語を想起させるようなタイトルとその何が書いているか一見するとわからない画面によって、好きなドラマを繰り返し録画したビデオをコマ送りしているような、「何が行われているかは知っているが、具体的に何が写っているかよくわからない」という強制的に既視感を引き起こそうとしているように思えます。

 

タイトルとその画面の関係性は一体どういったものなのでしょうか?

 

 

物語調のタイトルが付いているときは、その言葉通りの状況が描かれているか、絵の中の登場人物が話しているセリフか、どちらかです。画面とタイトルの関係は、伝統的な肖像画や風景画のタイトルが「◯◯氏の肖像」、「何処そこの街角」であったりするのと同じです。ちょっと画面からはわかりづらいだけです。

 

描き始めから、タイトルにあるような状況を描こうとしているわけではないのですが、描き進めるうちに何か設定を持たせて、画面を整理するのに利用していました。逆に言えば、その状況に意味があるわけでもないので、タイトルにも意味があるわけではありません。

 

 

 

(4)樽井さんは「永続する現在」を絵画にて描かれようとしていますが、これは現在過去未来という時間を一方通行と考えるような捉え方ではなく、時空というブロックを移動しているという運命論のようにも思われます。そういえば「平行世界」というタイトルの作品もありましたね。

 

時間を一方通行と考えると「因果」があることになりますが、時間を時空のブロックの移動と考えると運命の全ては偶然であると考えられます。

 

樽井さんにとっての偶然とはどういったものであるかお聞かせください。

 

 

偶然は気づきであり、出会いであり、選択肢です。偶然は気づいたときに偶然だと自覚されます。雨のように降り注ぎ、電波のように飛び交う無数の出来事の中から意識にのぼった理由のわからないこと。そもそもあらゆる出来事の理由は後付けなのですから、気づいたことや思いついたことは全て偶然かもしれません。うまく理由を言語化できないものが特に偶然として意識されるのではないでしょうか。そんな出会いの中には選ぶことができるもの(スルーできる)と気づいたら最期、回避不能なものもあります。

 

 

 

(5)本展示のテーマをお教えください.

 

支持体からあちこち組み直された絵画は表面を持つと同時に物体としても見えてきます。物体そのものが描画を作り、二次元と三次元という二つの視点が多義図形のように入れ替わる作品の制作を試みました。

◯作家略歴

 

1988年東京生まれ

2014年多摩美術大学大学院修了

 

■主な展覧会

 

2010

「日常展」東京六行会ホール他、東京・茨城

2011

「ねずみ講展」RED CUBE、東京

2012

「斜方体」多摩美術大学、東京

2014

「樽井英樹展 約束のない待ち合わせ」ワダファインアーツ、東京

「素晴らしい人」 アキバタマビ21、東京

2016

「鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?」ワダファインアーツ、東京

 

■公募展

 

viaart 和田友美恵賞(’08)KURATA賞(’08,’09)

トーキョーワンダーウォール公募(’10)

NEXT ART展(’11)

Dアートビエンンアーレ(’11,’13)

トーキョーワンダーシード(’14,’16)

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